2014年10月4日土曜日

節目は自分にしか分かりません 。





前々回に続く・・・

魅力的?な不規則生活を長年してきましたが
これと言った病気をする事も無くなんとかこの年齢まで
人生を謳歌(?)してこれました
と言いたいところですが実はそんな事はありません

全く何も問題が無かったかと言うと
決してそんな事はないのです


人間には節目があると言います
そしてその節目も人によって様々だと思います

その中でも節目についての一般的な概念の一つに
年齢、あるいは年代による節目がありますよね
そうです
二十代から三十代への節目
三十代から四十代への節目
     ・
     ・
     ・

年齢的な節目と言うのは
突然何らかの変調をきたすものではありませんが
意識の上ではそれなりのインパクトがあります

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例えば冠婚葬祭のような場合であれば
環境の変化が伴いますから
誰の目から見ても分かるような節目です
それに比べて年代にあてはめて語られる節目は
「そう言えば三十歳を過ぎた頃から」とか
「四十代を迎えた頃から」などと後で思うものですが
あまりにも漠然としていて本当のところは
どんな節目だったのかよく分かりません
分からないからこそ何となく
節目としての説得力があるのかもしれません
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四十代を迎えた頃からでしょうか
耳鳴と鬱のような症状には随分と悩まされました
《これは私にとっての一つの明らかな節目でした》

最初に症状が気になりだしたのは耳鳴りです
朝から晩まで鳴りっぱなしです

朝起きて少し時が経ち始めた頃から次第に
「シー」と言うような
「キー」と言うような
金属質のような音が耳の奥で響いてきます

「また今日もか」と思いつつ会社に向かいますが
次第に大きくなる耳鳴りの音は徐々にボリュームアップ
周りの雑音さえも弾き返してしまうような
そんな表現がぴったりの非常に不快な音に覆われます

音と言うべきものなのか 何と言うべきものなのか
耳の奥で鳴っているその音を上手く表現できませんが
この時期以降 静寂と言う言葉は私の辞書から
消えてしまいました
<==
「この時期以降」治る事もなく毎日鳴り響いております
 今現在も
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かと言って周りの音は良く聞こえているのですから
聴力が弱くなっている訳でもなさそうです
周りの雑音はもちろん 他人の話も良く聞こえます

あまりにもひどくなったので
ある大学病院で検査を受けましたが
聴力は言うに及ばず他についても問題はありませんでした

「何も問題は無い」と言うこの言葉はありがたいものです
お医者さんにこの言葉を頂けると本当に安心します
ですがこの時に限っては「ほっとした」反面
かなり「がっかり」しました

つまり
病気を患っていないと言う安心感は得たものの
現在の症状を治す手だてが無いと言う事ですから
それどころか医者たる者が何をか言わんや
「耳鳴りは治しようが無いので上手に付き合って下さい」

「上手に付き合えったって、どうやって?
 気が狂いそうな程の煩わしさに悩んでいるのに!」
と声なき声を医者にぶつけたりもしてみましたが
(声を出して言えないところが奥ゆかしさです)
耳鳴りを治す術はないそうです殆どの場合

何らかの障害に起因している場合のように
原因が特定出来るのであれば治る可能性もあるそうです
ですが多くの場合は原因が分からないので「治りません」
となってしまいます

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